中身はつぶあん。(旧:カラメル堂)

イラストレーター&マンガ家おぐらなおみの公式ブログ

2005年10月


髪をふたつにしばって「きゃー、マンガとおんなじー」と
ちょっとしたコスプレ気分を味わう、オレ様おぐら。


義母が福岡から泊まりに来てくれたのに
頭痛と吐き気のために、丸太ん棒のように横たわったまま
動けないオレ様。

それなのに一言の文句も言わず子どもと一緒に
買い物に行ってあそばせてくれて、マクドナルドでゴハンを
食べれさせてくれた義母。
私は普段ファーストフードの店には行かないので大喜びの子どもたち。

ありがとうございます、ありがとうございます。

しかしコーちゃんは犬の運子を踏んで恩をあだで。


ムスメの出身幼稚園のバザーに行って
興奮のあまりおちっこをもらすコーちゃん。
それに気付きもしないオレ様おぐら。


みなさん、こんばんみ。只今深夜1時30分です。
昨夜は「でぶや」を見たのち、こどもらと一緒に布団に入り、
しかし「R30」にリリー・フランキー出演という話を小耳にはさみ、
仮眠の後起きてきてこうしてパソコンに向かっているというわけでございます。
リリーさんを見ながらどうしてしらふでいられようか、と思い、
ビールでも、とふと考えた後でしかし私は今寝起き…とも思いましたが
結局どんどん進んで酔っぱらっているわけです。
最近ビールを1本飲んだ後は日本酒です。寒くなってきたからね。

だいたいこういうときはビデオ録画しておけばいいものを、とも思うんですが、
ウチ、ビデオないんですよ。もう1年くらい。
だから深夜にみたいテレビがあるときは(見たいと思うものはだいたい深夜だ。)
必死の形相で起きている。起きている価値があるものもあれば、ないものも。

んでもって、よかったなあ…リリーさん…。もうほんと大好き。
あと5時間くらいは見てたかったな。イノッチと国分は役不足。
もっとシモネタを引き出さなくては。
リリーさんとみうらじゅんのトークが見たいなあ。

私はどうも「ダメな男性」というのに惹かれがちで、リリーったら
ダメもいいとこなので、もうピンポイントなのですが、不思議と夫はダメじゃない。
ダメな人とは続かない。この辺がどうも…なんというか…。

あ、今日のつまみはガトーショコラと梅干というなんだかとてつもない
組み合わせでしたが、ケーキはおいしかったし、梅干もナイスでした。


おやつのえびせんべいを食べ終えて、漫然と伊藤まさこの本を読むコー。
涼しくなったせいか、夏には切なくなるほどの食欲不振ぶりだった彼、
今はもう悲しくなるほどの食欲魔人だ。
案の定、「おなべ」「みかん」「ごはん」などと指差し確認。
絵本代わりに雑貨の本を見せたりするけど、これはいわゆる
早期教育なのかどうか。
ブラウンのジューサーに興味津々のようだが、しめしめと思うばかりだ。


「韓国語のはじめ方・つづけ方」(㈱アルク)という本の挿絵をほんの数点ですがお仕事しました。
本屋さんでお目にかかったらちょっと手にとっていただければ、わたくしと担当編集者のかたが喜びます。
カラー原稿が多いわたくしの、久しぶりのモノクロイラスト。えんぴつで描いたのをスキャナーで
取り込んで製作したのだったが、あんまり細かいことは分からないな、印刷だと。

んでもって、わたくしが仕事をするとき、びっくりするほど担当の方とは
会わないことがほとんどで、多くは電話で連絡をいただいて、FAXでやり取り、
中にはメールだけでやり取りして声さえも聞いたこともない、なんてこともある。
地方に住んでいるから、この方法はありがたいけれど、やっぱり淋しいなあと
思うこともたまにはあることだよ、と思ってたところ、
この本に編集さんが留学レポートをされていて、顔を見ることができた。
まあ見たところで何かが劇的に変化することもないなあというのが正直な感想ですが、
お顔も拝見できたことですし、今後ともよろしくお願いします。


今日はフルチンコさんの家で飲み会なので
鶏肉の甘辛煮を作って、ちょっと味見してみたら
のどが渇いて渇いてもうビールを飲まずにはいられない感じなのだが
今うちには1本のビールさえない状態で
なんでこんな蛇の生殺しのような状態に陥ったのが
自分でも不思議なのだが、早く時間が進めばいいのに。


今年は柿が安くて甘くないですか?
私は大好物なので、せっせせっせと食べています。

母方の実家に大きな柿の木があって、たわわに実るので
毎年楽しみにしていた。
不思議と甘い柿がなる年と、しぶい柿がなる年があって
甘い柿の年はうれしかったけど、渋い年は干し柿にするので
あんまりうれしくなかった。

私は小学1年生までこの母方の実家に、祖父母と両親と弟で
住んでいたけど、ある日突然出て行かなくてはならなくなった。
当時は訳が分からなかったけど、私の父と祖父の折り合いが
あんまり良くなかったのであろう。頑固者同士が一緒に住むのは
とても大変。

んでもって祖父母とは離れて暮らすようになって、疎遠になりつつ
あったけど、2年に一度、祖父が柿を持って尋ねてくることがあった。
両親は共働きだったので、夕方は子どもしかいなかったけど、
たいていその時間を見計らってやってきたのは、祖父の計算だったのか。
ちょっと上げって行けば、と言っても必ず「いや、急ぐから」と帰ってしまった祖父。
帰ってきた母に「今日おじいちゃんが柿持ってきたよ。」といっても、
「そう」とそっけなかったけど、それも今なら分かる。

離れて暮らすことが決まっても、顔色ひとつ変えなかった祖父だが、
その年の

「わたしはいっぱいえのべんきょうをしてまんがかになります。」


書いた私の年賀状を見て、ひとりで泣いていたという。

そんな祖父が死んでから大分時間がたったが、やっぱり柿は
2年に一度しか甘くない。
最近は母も実家に帰って取ってきた柿を時々わたしのところに送ってくる。