中身はつぶあん。(旧:カラメル堂)

イラストレーター&マンガ家おぐらなおみの公式ブログ

2006年03月









試食は見逃さないコーちゃんですが、春風のように気まぐれなので
「本当に?本当に食べるの?」と念を押さないと取ったのに食べない、なんて
こともある。
それを知らずに義母などは、ウィンナーを手に掲げたままで、いつまでも
店内をうろつくことになるのである。


ふたつも…。

なんだか間があいちゃいました。ごみーん!
けっこうばたばた忙しくってえ、どんな風に忙しかったかというとお、
・冷蔵庫に入りっぱなしだったタコの塩辛の処分(主に胃中におさめる)
・小学生女子にきつくおしおき(生意気な口聞くとはったおすぜ!生意気だぜ小3!)
・できもしない禁酒(もうビールは飲まないよ。しかし実家では可。)
・コーちゃん、歯医者デビュウ。(小児歯科のあっぱれな手腕に感動。)

などれーす。忙しそうなオレ様に乾杯だ!

話は変わりますが。

コーちゃんの幼稚園のお道具類のなかに、体育用の赤白帽子があるんだけどな、
首筋のところに「タレ」っつうのが付いてんだけどよう、

こんなの福岡で初めて見たよ。九州ではこれが一般的なのかい?
でもこれをかぶったコーちゃんを見るとどうしても

って思わずにはいられないんだ。いられないんだったら。(byぼのぼの)

花粉・・・日々ひどくなってゆく花粉症・・・。
どうやらオレ様のかわいらしい鼻ちゃんはスギよりもヒノキに反応しちゃうかわいいやつだぜ。
先ほど久しぶりに鼻血ブーしちゃいました。今も右穴が完全にふさがっていまず。ふがふんが。

日曜日に卓球をやって、結構びしいっとしたスマッシュが打て打てでうれしかったです。

・・・・そんだけ?

土曜日には中洲の屋台に行ってぼられました。
ひどううい。
観光客然としているとぼられるかと思って、一生懸命「だけん」「やっとう」「やったいけん」
などと福岡弁で話したつもりだったのだが、見破られたか。
つうか夫は博多っ子なのになぜ屋台初体験であったのか。それが不思議。
ビール3本飲んで焼酎お湯割り1杯飲んで焼き鳥とおでん食べて1万3千円・・・・。

いちまんさんぜんえーーーーーーーーーん。

うううううう、ものすごく無駄遣いしたようで心がしくしくいたします。
メニューには焼き鳥600円とか書いてあったから安心していたのにこのざまです。
夫と二人で

「あれはさあ、1人前は600円でもお皿に載ると1200円くらいになるんだよね。」
「1人前は600円でも3人前になると3000円になるのだ。」
「そしてテーブルチャージが5000円で」
「お通しの枝豆は1000円だ。」

などとくよくよしながら天神まで歩いて地下鉄で帰りました。



●お仕事情報●

ベネッセ中学講座の「はたらクラブ」つうサイトでかわいらしい仕事をしました。
がんばれ中学生諸君!
担当のSさんから「福岡ではもう春まっさかりで、おーい焼酎~!みたいな日々ですか?」
というメールを頂戴しましたが、ノリノリで飲みに行って痛い目にあってる次第です。
もう行かない。屋台には行かないよ。でもラーメンだけなら大丈夫だと思う。




…と思ったのだが、やっぱりむくっと起き上がって暴れております。
すごい体力だ。午前中は公園で遊んだのに。
誰もいない公園で地味に遊んだのだが、道にはこれから大濠公園に向かうと
おぼしき自転車がたっぷりと走っていた。さぞや混雑していたことであろう。
あああ、春になってきましたね。














(イラストレーター修行物語 その5)

いかにしてイラストレーターの武器である「スピード」を手に入れたのかっ!

ムスメも2歳になり、お絵かきに興味が出てくると私と一緒に絵を描きたがりました。
んでもって皆様もご経験があると存じますが「ねえ、アレかいてー」が始まって。(LEE文調)

ムスメ「おかあたん、まんちゃん(この頃ムスメが自分のことをこう呼んだ。)がおいちいの
食べてるとこかいてー。」
わちし「あいよー(さらさらさら)こんなのでどうですか?」

                        ↓


ムスメ「ぎゃははははは!(ムスメ爆笑)。じゃあ今度は機関車トンマスかいてー。」
わちし「はいよ~とんます一丁。」

                        ↓


ムスメ「こんなのトンマスじゃないお!ちがうお!今度はねー、うさたんとまんちゃんが
まてまてーっておいかけっこしてんの。」
わちし「さらさらさら~。}

                        ↓



ムスメ「いやらー、うさちゃんこんなのじゃなくて、ぴょんぴょんてかわいいのよ。」
わちし「ぴょんぴょんってね。」

                        ↓
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ムスメ「いやいやらー!こんなのいやー!」


・・・・・とまあ、こんな感じで延々と続くわけですが、娘(クライアント)のお題に
秒単位で絵を描いていくことが今思えばものすごい修行になったわけです。
ムスメの要求を一ひねりし、尚且つ自分好みの「うひひひ」と笑える絵を
ものすごいスピードで1日に100個も200個も描いていきました。
(ムスメもよく飽きずについてきたもんだ。)
そして遊びつかれて娘が眠ってしまうと、今度は本格的な修行です。

まず雑誌をぺらぺらとめくり挿絵付きの記事をふんふんと読み、
「わたしだったらこういうイラストを描くなあ。」と思ったら実際にその絵を
描いてみて、その記事をパソコンでスキャンし、自分のイラストを貼り付けて
みたのです。イラストを描いただけでは自己満足で終わったかもしれませんが
記事にレイアウトさせることによって、自分の欠点が本当によく分かりました。
この修行も(実際には修行というより子持ちで自由に外出できないわたしの
気分転換の遊びでしたが。)じっくり何時間もかけることはできません。
ムスメが「ふひーん」と昼寝から覚めれば中断し、食事の支度中、ちょっと
手の空いたときの5分間だけ、なんて時間を見つけての作業になりました。
結果的には、これが身につき、短時間でぐぐーっと集中して絵を描くことが
得意分野となっていったわけです。

どうだい?オレのこと、少しは尊敬してくれるかい?

いやいやいや、尊敬なんてそんなそんな。拍手もやめてやめて。

そんなこんなで時々来る仕事をぐぐっと集中してこなし、自分でも多少は
満足できるイラストが描けるかな?と思った頃にやっと

「先日○○(雑誌名)でイラストを拝見しまして、ぜひお仕事をご一緒に・・。」

というメールをぼちぼちいただくようになりました。(この頃カラメル堂開設)
うううううう、うれしかったですねえ。実にうれしかった。
育児に疲れてめろめろになって、タイトなスケジュールに泣きそうになっても
「やっぱり仕事ができるってうれしい。」としみじみ思いましたです。
そして実践していくうちに、自分の得意分野は
「身近な生活の何気ない出来事をちょっとひねってくすっと笑わせる」ことでは
ないかなあと考え始めるのです。

そんな時たまたまネットで「育児経験のあるイラストレーター募集」という記事を
見つけ、イラストを送り「育児マンガ」を描くことになり(1歳から3歳のしつけかたが
分かる本)、それが、あああ、その本が一人の編集者の目に留まり「こどもちゃんれじ
ぷち・子育てリズムおぐリズム」につながっていったわけです。

・・・・ふうううう、長々と書いてしまいました。自分語りはなんと照れくさいことでしょうか。

思い返して見ると一番大変だったのは、やはり第一作目が掲載されるまで、が
一番長くつらかったです。だって本当にどうやっていいか分からなかったから。
自意識ばっかり過剰な女が見栄ばっかり張って目指したイラストレーターという
職業ですが、あの時のもがき方はひどかった。本当にぶざまだった。
それはやっぱり「肩書きとしてのイラストレーター」が欲しくて、絵を描く力を伸ばす
努力はそっちのけだったことが原因だったのかなあと36歳のわたくしは思ったり
するわけです。
25歳で初めて雑誌の仕事をしてから10数年たってしまいましたが、ようやく
今になって私はプロになったなあと思えるようになりました。
んでももう肩書きなんてどうでもいいや。みんなにイラストレーターのひとって
呼ばれなくてもまったくかまわん。

小さい絵を何かの紙に印刷してもらって、それを見た人がちょっと明るい気持ちになってくれれば、もうそれだけでいい。明るくなってくれる人が多ければ多いほどうれしい。

もうそれで。






(イラストレーター修行物語、これにておちまい~)

(イラストレーター修行物語 その4)

あっという間に妊娠したわたくしはあっという間に退職し、あっという間に
専業主婦になるのである。予想外の展開だ。
妊娠中は予想外に調子が悪く、予想外につわりが続き、予想外に家事もできない。
実はちょっと「セツに通ってみようかな。」とも考えていたのだが、イラストレーター憧れの
聖地と呼ばれているセツ・モードセミナーという絵の学校は、試験もないかわりに
なんと抽選で学校に通えるチャンスを得られるという、よく考えればとんでもない学校で、
もっとよく考えれば妊娠中の体で学校に通うのはあまりにもリスキー。ここはひとつ
子供を生んでから通いましょう、と相成ったわけでございます。

・・・・みなさん・・・・子持ちの皆さん・・・・皆さんならご承知でございましょう・・・・
乳児のいる生活がどんなに思い通りにいかないか・・・・。

赤ん坊に乳やってオムツかえるだけでどうしてこんなに自分の時間がなくなるのか。
出産自体は安産で産後の肥立ちも順調だったわたくしですが、泣く乳児、不慣れな家事、
慢性睡眠不足、孤独な毎日。

あっという間に育児ノイローゼでございます。

その頃のイラストの仕事は、雑誌掲載が年2.3回といったところでしょうか。
(これも友人の紹介だった。さんきゅう友人。)
プロのイラストレーターというには、あんまりな仕事量。しかし仕事を増やそうにも
営業活動にも出られない。泣く乳児。不慣れな家事。八方塞がりなこの生活。

こんなはずではなかった。わたしの東京生活。

何にもできない。楽しいことなんか何もない。一日中家にこもって子供の世話をして、
ただぼんやりと寝たり起きたりの生活。また泣くか。何で泣くのか。
わたしはイラストレーターになりたいのに、なんでこんなことになってしまったのか。

そんな毎日の中、大阪への転勤が決まりました。

実はそのときには「もうイラストレーターにはなれないだろうな。」と静かな気持ちで
考えておりました。イラストの仕事といえば東京でなくては、と卵たちが続々と
東京を目指す中で、地方(大阪の人は大阪をこう呼ぶとものすごく怒りますね。でも
私にとっては東京以外はみんな地方だったのよ。)に住むのはものすごく不利な状況
であるということは地方出身者のわたしには、いたーいほど実感しておりました。

ところが、ものすごい追い風が吹いたのだ。

それは

インターネットの爆発的な普及でござる!きゃほー!

それまでは、実際に紙に描いたイラストを編集部に持っていったり、バイク便で
納品したりしていたのが、イラストのデータ納品が一般的になっていったのです。
最初はフロッピーにその後CDRに、そして現在ではメールに添付して、ものの数分で
納品できる状況になると、どこに住んでいるかは重要でなくなってきました。
そして、そんな中で私が仕事をするにあたり、「これだけは負けない売り」というものが
身についてきたのです。

「速さ」です。

ある日知り合いの編集者から「ものすごく急いでいるので、こういうイラストを
描いてくれないか。」という電話が来たので、30分ほどでイラストを送ったことが
ありました。まさかそんなに早くイラストが納品されると思わなかったその知り合いの
編集者はたいそう驚き、ここここれで今夜は家に帰れるうう、とむせび泣いたのでした。
そうです。出版業界で「仕事が速い」というのは大変重宝される貴重な武器なのです。
そんな仕事を何回かこなしたのち「なんだかものすごく速いイラストレーターが関西に
住んでいる。」といううわさが出版業界に流れ(おおげさ)、いつの間にか仕事量も
増えていったのです。

ここで疑問。デビュウの際のあのおかしな(おかしな言うな!)イラストは何日もかかったのに
どうしてそんなに早く仕事ができるようになったのか?

むふふふふ、お答えしましょう。

それは(思わせぶりな続く)



(イラストレーター修行物語 その3)

しかも実際の支払いは8000円から10%引かれた7200円であったのだ。
イラスト制作にかかった時間で支払額を割ると時給200円ほどにしかならない。
ここここ、これでは生活できないではありませんか。
「にゃー」あああ、てっちゃん(そのころ一緒に暮らしていた)のえさ代も出せないではないですか!むううううう。

夢と現実をはかりにかけて、どっちも欲しいと叫んでみても、貯金のひとつもありゃしない。
猫がにゃにゃーんと泣くばかり。

まるで都都逸だ。

こういったときに、「私は何も要らない。風呂なしトイレ共同の家賃2万の家に越して
イラスト修行をいたします!」という選択もあったのかもしれないが、(実際に友人にも
いましたが)私はそこまでの気概も強さも貪欲さも持ち合わせておらず、それなりに
贅沢も覚え、遊ぶ金も自由になった生活、それになりよりも、
「わたしも26歳…30歳まであと4年…」という現実が重たく重たく、あまりに重いので
夜中に目が覚めると猫が腹に乗ってたりして、もう散々だったのである。

相変わらず「雑誌のイラストを拝見しまして、ぜひうちの雑誌でお仕事をして
いただきたく・・・。」という出版社からの電話もリンともならないので、
ここはしばらく様子を見ましょう。このまま会社で仕事を続けましょう、という
半ばあきらめモードでOL業務を続けることにしたのれす。

(しかし、この頃編集業務にマックが導入され、パソコンの基礎とソフトの使用方法を
これでもかっ!と覚えさせてもらったのは、今大変役に立ってます。イラレとフォトショ。
パソコン教室に通ったようなものだ。それで給料もらって酒までごちそうしてもらったりして
本当にありがとうございました。あきらめモードなんて言ったらばちが当たる。バチバチ)

それからしばらくして、夫と知り合い、あっという間に妊娠して結婚退職することに
なるのだから人生って分からない。人間だものー!

(みつをに叫ばしておいて次に続く。)

イラストレーター修行物語 その2

友人の知人が雑誌の編集者で、今度新しい雑誌ができるから、そのイラストを
書いてくれる人を探してるんだけど、よかったらおぐらどう?と、私の友人が話を
もってきてくれたのだった。
ややややや、やるよやるよ!なんでもやるよ!と鼻息の荒くなったわたくしは、
数日後、編集部に赴いたのである。
(今思えば、「友人の知人」は私の友人のことが好きで、その子の気を引きたいが
ために私に仕事を振ってくれたのではないかと推察する。後日二人は結婚したので。)

編「今回、大井競馬場のイラストマップ制作なんですけど。」
私「はいはいはい!何でもやりますっ!」
編「サイズはB6横長の…」
私「それは何cmですかっ?」
編「・・・・・・ご存じないんですか・・・・。」
私「(やべ~、素人くさかったか?)す・・すみません。」
編「あとで改めてFAXで詳細送ります。FAX番号は?」
私「あ・・・FAXないんです・・・。」
編「・・・じゃ、電話で打ち合わせしましょう。」
私「えええと、昼間は仕事に行ってるんで、夜10時ごろじゃないと家には
戻らないんですが・・・。」
編「はあ、ハ~(ため息)、今回のイラストは4色でお願いしたいんですが・・・。」
私「あの、4色っていうと何色と何色と何色と何色使えばいいんですか?」
編「・・・・・・・・・・・(もはや無言)」

「4色」っていうのはフルカラーの印刷用語。そんなことも知らないのは
本当のド素人だけ。つうかそんなことも知らないようなのと仕事をすることに
なった編集者の顔はみるみる険しくなっていく。
あせるわたし。でもどうしても仕事がほしいんです。雑誌に掲載されたいんです。
がんばりますから、がんばりますからよろしくお願いいたします・・・・
と頭を下げまくる。

編「・・・それじゃ、1週間くらい後にラフをください。」
私「はいっ!・・・・ラフってなんですか?」
編「・・・・・・・・・・・(もはや無言)」

ラフっていうのは「こういうイラスト描きますよ」という下書きみたいなものですね。

とぼとぼと地下鉄で力なく帰途につく。呆然としているわたし。
・・・初めての仕事だからって、編集さんが手取り足取り教えてくれるわけじゃ
ないんだ・・・この事実に今更ながら気づき愕然とする。

「どうしよう、何にも知らない。イラストレーターがどういう段取りで仕事するのか。」

イラストレーターは確かに絵を描く仕事で、さらっと絵を描いて持って行けばそれで
OKなのかと思ってたのだが、実は「編集者の意図にあった絵を作る」仕事であると
いうことがここにきて初めて分かったのだ。
人の頭の中は覗いて見られないから、いろいろ話し合って(打ち合わせ)今回の
雑誌記事の意図、そしてアイキャッチとしての華やかさ、などを考えつつそのうえで自分の
個性も出してゆく。自分勝手な絵を持っていくわけにはいかないのだった。

どうしようどうしよう。分からないよ。何にも描けないよ・・・・・・。

昼間のOL業務を終え、家に帰って夜9時過ぎ。資料を探そうにも
図書館も本屋も閉まっている。何枚も何枚もラフを描き編集部に送るが
まったくOKがでない。泣きながらラフを作りやっとOKをもらって本番の
絵を2日徹夜して(もちろん昼間は会社に行く。)やっと完成して納品する。

納品は直接会社に持っていったが、もう担当の編集さんには会ってもらえなかった。
くそ忙しい激務の編集部に10分おきに質問の電話をかけるような私の顔など
もう2度と見たくなかったのであろう。当然だ。

やっと終わった「プロの仕事」だけど、私には達成感などなにもなかった。
ただ自分の力不足に涙するだけだった。

数週間が過ぎ、掲載雑誌がコンビニで発売されているのを見つけ、
緊張しながら開くと、私の絵がちんまりと載っていた。
「あああ、載ってる。本当に載ってる。」
それは想像以上にうれしく、誇らしく、店内にいる人すべてに
「これあたしが描いたんです!このあたしです!」と教えて回りたいような気分だった。
あああ、やっぱりわたしはイラストレーターになろう!絶対になろう!

そう決めたのは実は「デビュー後」なのです。

コレが私のデビュー作。笑え。↓
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建物の稚拙さ、人物の面白みのなさ、色合いの薄汚さ、どれもこれも
まったくもって素人の落書きなのだが、これが当時のわたしの実力ってことだ。
直視しなくてはいけない。ふきだしなんか画用紙の切り張りだ。情けない・・・。

んでもって気をよくした私は、「雑誌に載ったくらいだからコレを見た編集が
ばんばんオファーしてくるに違いなし。フンガー!」といい気になっていたのですが、
電話はいっこうにならない。びっくしするほどならない。
おかしいなあ、こんなはずじゃないんだが?と思っているわたくしに、件の雑誌の
「ギャラ支払い通知書」が届く。うれしい瞬間である。
絵を描いて、雑誌に載せてもらって、その上金までもらえるなんて、なんてブラボー!
10万円くらいもらえるのかな?だって雑誌だもん!全国発売雑誌だもん!
と、ひひひひと笑いながらその支払い通知書を開けると、そこには冷たいタイプ文字で
こう打たれてあったのだ。


「おぐらなおみ様 支払い 8000円」


ええええええええええええええええええええええええええ!

(コーちゃんが起きたので続きは後日)


なーんだ、そうだったか~。いえね、さっきから「自分がイラストレーターになったわけ」を
こう上手いことちょろちょろっと書いて人々の感動を誘おうと思ったんだけど、
どーも素敵なエピソードが浮かんでこねえ、と思ってたら。

東京に住みたいなあと思っていたのだった。

憧れの東京。雑誌に出ているあのまちに。道を歩けば芸能人に会い、
縦横無尽に走る地下鉄で雑誌に出ているあの店に10分で行くことのできる
東京に。東京に住んでみたかった。
東京に住むからには理由がいる。実家にいては到底できないような、
華やかな職業につく必要があった。
そこで、まあイラストなら自分でも描けるかなあと、ふと思ったのら。

んでもわかんないじゃん、どーやったらイラストレーターになれるのか、なんて。
もう、まったく、皆目見当つかないのでとんちんかんな絵を描いて知り合いに見せたり
知り合いの知り合いの知り合いくらいの人(編集さん)に絵を見せたりしてました。

が、

仕事なんかこーなーいーんだーこれが。
今なら理由がはっきりわかります。

使えないからです。

小手先でちょこちょこっと誰かの真似して、花やらコーヒーカップやら犬やら
そんなものを色鉛筆で雰囲気だけはいっぱしのつもりで持ってっても、
プロの目で見ればすぐに分かる。使えるかどうかなんて。

…ほんとに甘かったなあ。俺。

ちょこっと絵の授業を受けてたとき、講師の先生が
「イラストレーターというのは、りんごを描いてくださいといわれて、
りんごだとはっきり分かるものを描かなくてはいけない。」と話していて、
そのときは「何でそんな当たり前のことを言うのら?」とものすごく
不思議だったが、今現在痛感している次第です。

例えば、にっこり笑ったかわいい親子の絵は描けても、
「育児に煮詰まった母の悩み。」という絵の依頼があったらどうでしょう。
それがただ眉間にしわの寄った女が子供と一緒にいるだけの絵に
なってしまっていたら「育児に悩んでいる心の苦しみ」が見えない絵だったら
「りんごがりんごらしく見えない絵」と同じことではないでしょうか。

まあ、実際にそんなことを考えられるようになったのは最近のことで。
そのころのわたくしは「なんでイラストの仕事来ないのかなあ。」と
思いながらOLちゃんとして働いていたわけですね。

(東京でのバカ高い家賃を払うには会社勤めをしないわけにはいかなかったんです。
面白い仕事ではありましたが、これは違う、これは私が思い描いていた華やかな
東京生活ではない、とは思ってましたです。)

切望してイラストレーターを夢見ていたわけではなかったんです。
ただ「東京で○○○をしてるの。」って言った時に人様からスゴーイって
言われるような職業につきたいものだ。なぜならせっかく東京にいるのだから、
とバカのように考えていて、それがカメラマンでも役者でもイラストレーターでも
なんでもよかったってことだ。…ほんとに自分の娘がこんなこと言い出したら
ぶんなぐってやるところだ。ケツバットだ。

ところがひょんなことから雑誌にイラストを描くことになりました。

(長くなってきたので続く。)